自己肯定感

「自己認識の甘さが許せない」なんて言ってたひがみ屋だったあの頃

こんにちは!

「自分を好きになる星占い」竹之内かなみです。@take-kanami

今でこそ自己肯定感が高く、情緒が安定している私ですが、若い頃はそりゃあもう自己肯定感が低くて低くて。

そんな私の自己肯定感が高まるまでを、聞いてくださいませ。

夢見がちな幼児

教員の父親と、元教員の母親の間に生まれました。弟がふたり。

経済的には裕福でも貧しくもなく、両親からは愛されて育ちました。どこにでもある普通の家庭です。面白みがなくてすみません。

ひとつだけ普通でなかったとすると、私は鹿児島県の小さな島で育ちました。ど田舎です。どれくらいど田舎かというと、家が畑や田んぼに囲まれていて、隣家まで徒歩5分ほどかかりました。

過疎化が進んでいて、家の周りに子どもなどいません。

海は近かったけれど、公園など子どもの遊び場はありません。

遊び相手は、専業主婦だった母と弟たち。遊び場は家の中。

今のように、ネットもなければ、サブスクの番組もありません。なんなら、観れるテレビチャンネルも4つしかありませんでした。内2つはNHKなので、民放は2つです。

毎日がとにかく退屈でした。

そんな中で育った私の楽しみは、空想を働かせながらひたすらお絵描きをすることでした。

いい子の優等生だった小学生時代

お勉強はよくできる子でした。

授業中はよく発言もする、ハキハキした優等生でした。ルールを破る、道から外れることのないいい子。

友達もいます。が、何故かいつも孤独感を感じていました。

話が合わないな、話題に入れないな、と思うことも多く。

外遊びするより、ひとりで本を読んでいる方が楽しかった。

田舎のヤンキー中学校へ

時代なのか、田舎だからなのか、中学校はヤンキーの多い中学校でした。素行が悪い方が、力持ってるの。この頃には島を出ていましたが、田舎であることには変わりはありませんでした。

田舎だから、山越えて隣の中学校のヤンキーに喧嘩売りにいくの。くだらないよね。

ひどいいじめもあった。

私はいじめをしなかったけれど、「やめろよ」とも言わなかった。

私は相変わらずの真面目な優等生でした。発言力あるし、運動もできたので、素行が良いのにヒエラルキーの上位にいました。確信しています。ヤンキーに絡まれることはなかったし。

でも、何もできなかった。

周りの全ての人間を、心の底から軽蔑していました。何もかもが嫌だった。

ひどい環境をなんとも変えられない自分も嫌だった。

公立では県内一の進学校に進む

プライドの高さから、実力では無理目の進学校を受験。一番じゃなければ嫌だったから、ここ以外の高校は考えられなかった。必死で受験勉強しました。中3なのに、受験ストレスで白髪たくさん生えました。

努力の甲斐あって、志望校に合格。

そして落ちこぼれる。

それまでの人生、勉強だけはできてきたのに、高校では勉強ができない子に転落する。

はっきり自分の順位がわかる上に、分からない・答えられないと教員から叩かれたりしていた。(今考えると、絶対おかしい。腹立つわー。何?時代なの?鹿児島だから?)

よりどころをなくす。

自己肯定感がメッタメタに削られた3年間。

「自己認識の甘さが許せない」なんて言ってた

京都の小さな公立大学に進学。

一人暮らしを始めて、毎日毎日パーティーパーティーでね。

先輩たちにあちこち連れて行ってもらったり、ネイティブ関西人たちの軽快なトークに感心したり、毎日が楽しくて仕方がなかった。

でもメッタメタに削られた自己肯定感は、そんなに簡単に上がらない。

「自分が好きです」て幸せそうに笑っている子たちが、許せなくて。

「あの子だってさー、大したことないやん?性格だってそんなによくないやん?」

「え、何?それで自分のこと好きなの?」

「は?私は自分のこと嫌いで嫌いで、めっちゃ辛いのに。」

「でも私は、自分のこと分かってるもん。ダメな人間だから、嫌いなのはしょうがないやん?」

「あの子かて、自分を好きではあかんと思う。好きなんだとしたら、自分のこと正しく理解してないんだよ。」

そして最後にはお決まりのセリフ。

「自己認識の甘さが許せない」

自分と同じく自己肯定感の低い友達と毎晩酒を飲んでクダを巻いて、他人を羨んで、嘲笑って、見下して。

そして自分のことがますます嫌いになっていくのでした。

恋愛に溺れる

自分では自己肯定感を上げられないので、私は、よりどころを他者に求めるのでした。

一番人気のあの子と付き合ったら、私の格が上がる。

本気でそう思っていましたね。ヤバイよね。痛いよね。自分の価値を他人に託すなんて。

あざと可愛く振る舞う事には、全く抵抗を感じませんでした。あざとさをフルに使って、自分を偽って、一番人気の彼と付き合い始めます。

尽くすと同時に、束縛します。

そして、彼は別の人のところへ。

周りを巻き込んで、お互いドロドロのヘトヘトになって、なんだかんだで学生時代の全てを彼と過ごす事になるのですが、全く幸せな恋愛ではありませんでした。

それは彼も同じだったと思う。

さっさと別れるべきなお相手でした。お互いに。

でも、自己肯定感の低さから、惨めな恋愛を手放せなかった。

そうこうしているうちに、恋愛に溺れて留年が決定。

いつの間にか、得意なはずのお勉強でさえ得意ではなくなっていました。

趣味人間になっていく

彼が、他の人のところに行ったとき、「私の全てが彼で占められているのはよくない」とやっと気付きました。

時期を同じくして留年してしまい、私だけ2回生から3回生に上がれず、私だけ暇になったというのもあります。

自分が能動的に動きたくなる、趣味のサークルに入ろうと、他大学の劇団に入りました。

ミュージカル劇団です。高校の時はダンス部だったし、カラオケも好きだし、ミュージカル観劇も大好きでした。

劇団で、新しい友達と一緒に練習を重ね、舞台を創り上げるのは楽しい経験でした。

賢い大学のサークルだったので(私の大学ではありません)、劇団員は英語が得意な人が多かったです。劇団内でロンドンのミュージカル観劇に行くことや、ダンス短期留学をすることが流行っていました。

みんな航空券だけ手配して、宿は現地で見つけて、気ままに旅をしていました。

何それカッコいい!

私もみんなの真似をして、航空券だけ手配して、イギリスに飛びました。

英語がほとんどできないままに行ったので、まー大変でした。

特に大変だったのは、日々の宿泊所探しです。毎日毎日、その日の泊まる宿を探すのに多くの時間を割いていたと思います。今のようにインターネットも発達していない時代です。

でも大変なりに、ミュージカル観劇もできたし、自分で長距離列車を手配して湖水地方にも行ったし、楽しい一人旅となりました。

宿は、たいてい個室ではなくドミトリーでした。金銭的に。

個人旅行の日本人女性と同室になることが多く、そこで、オーストラリアからのワーホリ帰りに旅行しているという同世代の女性と知り合います。

ワーホリ!初めて聞く言葉でした。

外国で働きながら旅するビザ?え、女性ひとりでそんなことができるの?

実際、同世代の女の子がやっていて、目の前でワーホリについて話してくれています。

凄いスゴイすごい!私もやりたい!!!

こうして、ひとつの趣味から交流が生まれ、また別の趣味に繋がり、世界が広がっていくのを感じました。

考えても堂々巡りなら行動するしかない

ワーホリ…やってみたい…

でも私は学生で、まず持って資金がない。就職したらできるかな?いや、就職してお金ができても、今度は長期旅行の時間が取れないだろ。

やりたい。でもできない理由やデメリットが大きい。諦めるか…諦めるしかないか…

ワーホリに行くか行かないか、ずっと考えました。行くか行かないかについて。

でも、何をするにしてもメリット・デメリットはあるし、行きたい気持ちがあればこの悩みは終わらないわけで。悩み方を間違えていたのです。

そして私もようやく気付きます。

私、いつまでワーホリに行く行かないで悩んでいるんだ?と。

行きたい気持ちがなくなるわけないやん!ずっと行きたいんやん!

行きたい気持ちを抑えて生きるか、行く方法を考えてちゃっちゃと行って解決するしかないんやん?と。

行く!まずはワーホリに行くと決めよう!どうやって行くかを考えよう!

ワーホリでNZへ!

大学を卒業し、アルバイトを掛け持ちして、資金を貯めることにしました。

ひとり暮らしをして生活費を稼ぎながら貯金するのはとっても大変でした。アルバイトも3つ掛け持ちして、とにかく働きました。

体壊しながらも働いて、それでも目標金額に達することができませんでした。

ひとり暮らしの家を引き払って実家に戻って、生活をお世話になりながらアルバイトを始めました。が、それでも目標金額に達することができず、最終的には実家に足りない分を貸してもらって、出発することとなりました。

好きなことをさせてくれる両親には、感謝です。

最初は、NZ一の都会であるオークランドでホームステイしながら、語学学校に通います。

アジア人が多い語学学校でした。韓国人の友達ができて、韓国人のグループと行動することもありました。お互いたどたどしい英語で一生懸命コミュニケーションを取るのも楽しかったです。

でも、日本人もとても多く、毎日日本語を話す日々…日本にいるのと変わらないのでないか?

よし、ひとりで旅して周ろう!

自分のことを好きではないかもしれない彼氏に執着してしまうような、自己肯定感が低くて寂しがりやの私には、孤独に強くなることが必要でした。

ウーフという制度を利用して農場で働いたり、バックパッカーズホステルという安宿で働いたりして、NZを転々と旅して周りました。

自己肯定感の低い私ですが、行く先々で人に親切にしていただきました。友達もできました。

何より、ひとりで旅して周ることで、自信がついていきました。電話して農場で働きたい意志を告げ、長距離バスの予約をとり、農場の主人の指示を聞いて働く。

日本だったら当たり前にやっていることです。けれど、外国で、独力で、それをやっていることが私に自信をつけました。

私、結構やるやん!

自己肯定感の高い夫と出会う

NZ滞在の最初の語学学校に、後に夫となる人がいました。T氏です。

T氏は面倒見の良い兄貴分で、後から語学学校に入った子たちにいろいろ教えたり、パーティーを企画して新入生と古株とを繋いだり。

彼がすごいのは、誰のことも長所を見つけて褒めるところでした。

「そんなんできるんや!」「すごいな!」「面白いな!」彼の口からは、そんな褒め言葉がいつもあふれ出ていました。

自己肯定感が低いあまりに、他人の短所を粗探ししてこき下ろして溜飲を下げる私とは、大違いでした。

彼はあまりにも善人で、善人であるが故に、私にとって恋人にしたいタイプではありませんでした。そして、彼は人の良さから、多くの女性にモテるわけではないけれど、彼女が途切れない人でした。

私は、私のありのままを出して、素の私で彼と友達になることができました。

ブラック企業と憧れの東京暮らし

ワーホリから戻ると、入学したまま休学していた大学院に進んでチャラッと学歴ロンダリングをして、新卒で就職活動。学歴ロンダリングをしても、決まったのはブラック企業。しかも何の縁もゆかりもない東北の店舗での勤務でした。

3ヶ月休みがなかったり、月に2日は店に泊まり込んで夜通し働いたり。辞めればいいのに、やはり自己肯定感の低さから「ここで辞めても私には行くところがない」と3年間も働きました。

ブラック企業だったので、働きながら再就職先を探すことなんて無理で。勢いで辞めた後は、これからどうやって生きていけば良いのか怖くて仕方がありませんでした。

でも、ブラック企業内で何度か異動があり、辞めたときに住んでいたのは千葉で。「あれ?憧れの東京で働けるんちゃう?」と東京での就職活動開始。

「お給料は低くてもいい。とにかく時間に余裕を持って生活できる、東京の会社で働きたい。」と自分の中での譲れない点を明確にしました。

すると、自分の希望に沿った小さな会社に再就職することができたのです!

決められた時間だけ働けばよくて、女性だけの職場で、日々穏やかに過ごせて、土日祝日は休み。ブラック企業から転職した私には、夢のような職場でした。

仕事の後にダンスレッスン受けたり、映画観て帰ったり、独身貴族を謳歌して東京生活を楽しみました。

お給料は少なかったけれど、休みの融通が効く会社でした。10日間の休みを取って、LAに短期ダンス留学もできました。

自分の中で、運の上げ方が分かった時期でした。

私にとっての幸せは、私だけが知ってるんだ。

私がしたいこと・したくないこと・好きなこと・楽しいことを明確にして、そのために行動したら、自動的に幸せになるんだ!

自己肯定感の高いT氏と結婚し更に高まる自己肯定感

芝居やひとり旅など自分の好きなことに取り組んだり、自分の力でやりたいことをできた達成感を得たり、自分がどのように生きたいかを明確にしたりしたことで、私の自己肯定感は徐々に上がっていきました。

T氏とはずっと仲の良い友達でしたが、結婚したいと思ったときに、人の良いT氏しか考えられませんでした。

30も過ぎてお互い独身であったこともあり、友達歴も8年となり、結婚しよかということに。

一緒に暮らし始めると、T氏はいつも機嫌がよく、人の悪口は決して言わず、私のことはすぐに褒めてくれます。ほんとよくできた人なのです。

そんなT氏は、多くの人に愛されていました。結婚するにあたって、東京から縁もゆかりもない大阪に引っ越したのですが、T氏の家族や友達が暖かく向かい入れてくださいました。

自分の友達であるかのように、T氏の友達と仲良くなりました。これも、T氏が良い人なので、妻である私を受け入れてくれたのだと思います。

仕事でも、人に恵まれ、人からチャンスをもらうことが多いです。それもこれも、T氏の人柄なのだと思います。

自分のことを好きとか嫌いとか、考えたことのない人です。そのままの自分を受け入れています。

だから人のことも丸ッと受け入れることができるのです。人の良いところを見ることができるのです。T氏のことを、素直にすごいな、と思います。

T氏の真似をして人を見ると、その人の良いところがどんどん見つかりました。そうして、自分の周りには、愛すべき人がたくさんいることに気付きました。

他者の良いところが見えるようになると、不思議なことに、自分の素敵なところも見つけられるようになったのです。

あんなに大嫌いだった自分なのに、どんどん自分を好きになっていきました。

たまに、どうしても合わないという人もいます。そんなときは、スッと距離を取ることができるようにもなりました。

自分のことも大事にできるようになったからです。

大切な自分なので、自分に対してリスペクトのない人に、敬意を払う必要はないのです。

人間関係で、必要以上に傷つくことも減っていきました。

自己肯定感を高めるのに星占いが役立つ

その後、星占いと出会い、自分が持って生まれた運勢であるネイタルのホロスコープを読めるようになりました。そして私は気付くのです。

早くから星読みができていれば、自己肯定感が高まるのにさほど時間がかからなかったのではないだろうか。

こちらは、私の持って生まれた運勢であるネイタルのホロスコープです。

これまでの人生を、ホロスコープと見比べてみましょう。

夢見がちな幼児

  • 家や家族の前など、リラックスした状態で出る月星座が魚座。(ホロスコープ①)
  • 月は、生まれた時から7歳前後に最もよく出る性質。
  • 魚座は、空想力と想像力に長けている。

いい子の優等生だった小学生時代

  • 社交性と知性を司る水星が乙女座。(ホロスコープ②)
  • 考え方や行動の基盤であるアセンダント星座が双子座。(ホロスコープ③)
  • 乙女座も双子座も守護星が水星であり、私は水星が強い。お勉強は得意。
  • 反面、頭でっかちで早熟な面があり、周りの子どもたちと話が合わない部分があったのでしょう。
  • 水星が発達するのが、7歳前後から14歳前後。

田舎のヤンキー中学校へ

  • この時期に発達しているのは、引き続き水星。
  • 水星星座の乙女座は、物事を正しく整えたい完璧主義なところがある。
  • 素行の悪い方が力がある環境・いじめが横行している環境、そんなのはおかしい・正しく整えるべきだと憤る。
  • 自分に厳しいので、悪い環境に対して何もできない自分を責める・自分が嫌いになる。

公立では県内一の進学校に進む

  • この時期に発達するのが金星(16〜24歳ごろに発達します)。
  • 金星も乙女座なので(ホロスコープ④)、得意だった勉強で落ちこぼれてしまうことに、大きな喪失感を覚えました。自分の「完璧でない部分」が増えていくことへの、言いようのない喪失感。

「自己認識の甘さが許せない」なんて言ってた

  • 自分が完璧でないことに加え、完璧でない他者も許せなかった。
  • 「完璧でない自分を責めることもせず、幸せそうにしてるんじゃねーよ」と思っていました。
  • 世の乙女座さんが全てそうなのではありません。水星期・金星期に、自分の中の乙女座の良いところを伸ばすことができず、卑屈になり、自己肯定感を下げた結果です。乙女座の短所を助長させてしまいました。

恋愛に溺れる

  • 金星を頂点にして、火星と海王星でTスクエアを形成しています!(ホロスコープ⑤)
  • 金星は恋愛や快楽を表します。そこに、火星と海王星がハードに影響しています。
  • 火星の影響により、恋愛に積極的!ハンター気質。金星乙女座なのに、全く受け身でなくておかしいと思っていたんだ。火星の影響なのよ。
  • 海王星の影響により、恋愛に幻想を抱いている!まさに「王子様が私を高みに連れて行ってくれる」と思っていましたね。

趣味人間になっていく〜ワーホリでNZへ!

  • 金星の対象を、恋愛でなく、「私にとっての楽しいこと」に転換したのです。無意識に。これがよかった!
  • 「私にとっての楽しいこと」は何か、アンテナを高くしました。楽しそうなこと・面白そうなことが、次々とアンテナに引っ掛かりました。
  • 考える前に行動しろ!火星がうまいこと動かしてくれました。
  • NZワーホリ中には、自分で企画して友達を募ってバヌアツ共和国へ旅行したり、バンジージャンプしたり、スカイダイビングしたり。少しでも楽しそうならやっちゃえ!と、火星と金星がいい働きをしていました。
  • NZワーホリ中は、太陽の発達年齢域に入る時期でした(ホロスコープ⑥)。ワーホリ中の楽しみに貪欲なところは、太陽獅子座の「人生を楽しむ」という側面とうまい具合に噛み合っていました。

占いは活用するもの

私は、好きなことに対して貪欲に行動することと、自己肯定感の高いT氏に出会ったことによって、たまたまドン底の低い低い自己肯定感を上げることができました。

でも、だいぶ遠回りをしました。

最初から星が読めていたら。

完璧主義をやめて、環境を変えられない自分を責めず(中学生の頃は大人を頼ることも必要だったはず)、自己肯定感を削ることはなかったでしょう。

喜びへの過剰な行動力を恋愛に全振りして、恋愛に溺れることなく、自分の好きなことに向って行動することができたでしょう。

太陽星座が示す理想の人生を生きるために、自己表現や創作活動に早いうちから取り組むことができたでしょう。

もしあなたが、自分を好きになれずに苦しんでいるのなら

あなたが自分を好きになるお手伝いをさせてください。

あなたが持って生まれたホロスコープを読み解いて、あなたという人を理解しましょう。あなたの良いところも悪いところも、全部ひっくるめてお伝えします。

あなたが自分を好きになるために、傷ついたあなたの癒やし方をお伝えします。

星の動きを見て、あなたの未来についてもお伝えします。

自分を好きになって、あなたが望む人生を生きてほしいのです。

あなたの人生の主人公は、あなたなのですから。

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